どん底だった時の話 / YUKI

YUKI

いろんなどん底があった。

振り返ってみた時

その全てに意味があったのだと感じる。

辛くて辛くて、とにかく、、、辛かった悲しい

大変過ぎて、周りに大変と言えなかった。

本当によく乗り越えたね。

よく逃げなかったね。

と、過去の自分に言ってあげたい。

今辛くて大変な真っ只中にいるどこかの誰かに

「よくやってるね。」とハグしてあげたい赤ちゃんぴえん

そんな想いを込めて

当時の話を書いてみる。


わたしが一番辛かった時、

幸せなのに辛かった。

可愛い赤ちゃんが居てくれて幸せいっぱい。

だから、辛いとか思ったらバチが当たりそうで。

そんな罪悪感にも苦しかった。

周りはみんな上手にやっている。

昔の時代の方がもっともっと大変だったはず。

と、背負い過ぎ頑張りすぎた。

周りも大変そうで、

自分が大変だと言えなかったのだ。

そして、なにが大変赤ちゃん泣き

説明も出来ないくらい

毎日必死に日々を過ごしてた。


わたしが一番辛かった時、

世界一大好きな母がステージ4のガンと闘っていた。

大好きな母の

綺麗で健康な姿から

地獄絵図を見るかのような悲しい姿まで

その全部を見てきた。

大好きな人の苦しい、痛い、辛い

それが私にとって一番一番辛かった。

そして父も、

妻の看病、仕事、

喪主の務め、親戚挨拶…と

闘病生活が始まってから四十九日が終わるまでずっと、心も体も休まることなく痩せ細っていった。

いつも頼れるしっかり者の父が

母が亡くなり独りぼっちになり、

私の目の前で頭をぶんぶん振りながら寝落ちしてしまってた姿を見て

お父さんも辛かったよね。
泣く暇もなかったよね。

と、私は涙がボロボロ溢れてとまらなかった。

一番人生を長く一緒に過ごしてきた父が

一番辛いんだからと、

私が泣いている場合ではないと思ってしまった。


私の夫は外国人。

当時日本移住、同居、

なかなか外国人に厳しく定職も就けず

初めての赤ちゃん、闘病の義理の母、忙しい義理の父、産後うつになりそうな不安定な妻の私…

誰も外国人の夫を外国人と思って労わる余裕もなく、夫も明らかにとっても大変そうに見えた。

異国に住んでいたから分かる。

外国人が外国に住むのは

それだけで心身共に本当に大変なんだ。


初めての赤ちゃんだったから。

周りみたいに私も自分の親や家族に

沢山沢山助けてもらいながら

皆で子育てするんだと思ってた。

でも、実際理想と現実はかけ離れ過ぎていた。

そんな感じでみんなが大変だったから。

自分の大変さなんかと、

一人で一気に抱え過ぎて私が潰れかけた。

いつこのトンネルから抜け出せるのかな、、

ゴールの明かりも見えずに、

自分のことなんか考える余裕もなく

とにかく一歩一歩前に進んでた。

当時のベビーバウンサーの音楽、

お線香や病院の匂い、

赤ちゃん片手に抱えながら寒い家に一人。

3日間同じカレーを片手で用意し、

食べたこともあったな。

いろんな状況を昨日のことのように思い出せる。

そんなひとつひとつの細かいエピソードが沢山あるんだ。

 “ままとなでしこ”を創ろうと決意した背景には

母の死と、

自分が大変だったときの話は切ってもきれない。

過去の自分のような人を救い、

過去の自分が欲しかったような場をつくる!

そう奮起したのが最初なんです。

役に立つ

1.情報

2.知識

3.知恵

4.人

精神的・経済的自立に繋がること

それらを時間がないママの為に用意したい。

 

私自身が過去、あまりに大変すぎて

自分の名前を

すっかり忘れて失っていたから。

だから私のお役目は

ライフステージの変化で

背負うことの多い女性たちに

自分の名前を取り戻し、

自分の名前で活躍してもらうこと虹

そのことに繋がることならば、

なんでもやっていこう!と決めたのです。

それがあり今があります^ ^

長々と読んでくれてありがとうございますコスモス

心ある素晴らしい女性たちが集まってきてくれている今、ままとなでしこのコアメンバーの話もお伝えしていきたいので

最初のバトンは

【どん底だった時の話】

にしました^ ^

明日からブログを回していくので、

また読みに来てくださいね!

これからこのブログ共々、

どうぞよろしくお願い致しますベル

- ままとなでしこ代表 安田有希 -

女の子安田有希の個人ブログInstagram

Q.自分の名前、失ってない?

読みに来てくれて

ありがとうございます♡

応援してくれたら嬉しいです!

コメント

タイトルとURLをコピーしました